
元旦は心を澄まし、上昇気流を探ってみる。正月休暇の都会の空は晴天この上ない。雪国は曇天でも子や孫らを迎え心は晴れやか。上昇気流はそんな心象であろうか。
戦後80年の今年、下降の極みであった終戦直後を想(おも)う。「その頃は捨て子もあったが、その子たちは乳児院に入れた。でも、障害が身体だけでなく精神にもあると、診る病院も入る施設もなかった」。そんな苦労話を高齢者からお聞きした。重症心身障害児のことである。
その子らのために奔走した人がいる。小林提樹(ていじゅ)医師である。当初は日赤産院小児科で入院させ保護したが、健康保険の取り扱いを停止され、生活保護法の医療扶助も打ち切られて困り果てた。それで施設づくりに乗り出した。
土地は精神遅滞・多動性障害児の父親だった島田伊三郎氏が私財を投じて東京都多摩村(現多摩市)に得た。が、いかんせん資金がない。その話を聞いた読売新聞論説委員(当時)の梅田博氏は同郷の財界人を説得し資金を調達した。
昭和36年、小林医師を園長に日本初の重症心身障害児施設「島田療育園」(現島田療育センター)が創立され、どん底にあった子らを上昇気流に乗せた(『愛はすべてをおおう 小林提樹と島田療育園の誕生』中央法規出版)。
50年前のきょう、スタートした小欄の執筆を担ったのは他ならぬ梅田氏である。日本を上昇気流に乗せ、晴れやかな未来を。その精神を継ぐ年初めである。今年もご愛読を。