トップコラム「たかが選手」か「選手が主役」か【上昇気流】

「たかが選手」か「選手が主役」か【上昇気流】

渡辺恒雄さん

今月亡くなった読売グループ本社主筆、渡辺恒雄さんの業績は大きい。しかし、失言もあった。「たかが選手」というのがそれだ。読売新聞はプロ野球に関係が深いが、20年ほど前、球界再編が持ち上がった中でこの発言が飛び出した。

「たかが」は「問題にするほどではない」という意味。「選手は余計な口出しをすべきではない」という趣旨になってしまう。野球選手は当事者なのだから、言うべきは言う権利もある。

半面、プロ野球という事業に関して「選手が全て」と言い切るわけにもいかない。日本野球機構という組織が存在しなければ、球界は成り立たない。マグロの流通の全過程で「鮨(すし)屋が全て」というわけにはいかないのと同じことだ。

最近の傾向は「選手至上主義」だ。「選手が主役」で「それを支えるスポーツ団体」にはさほど関心を持たない。スポーツ競技は基本は可視的・視覚的なもので、選手・観客双方にとって視覚が重要だ。かつてラジオで野球中継を聴いていた経験があるが、あくまでも例外的なものだと言える。

視覚的である以上、「選手が目立つ」のは当然だ。演劇を突き詰めていくと、俳優と観客の両者にたどり着く。スポーツも実際に競技を行う選手がいなければ始まらない。

昨今は五輪も含めて、スポーツは競技場で直に観戦するよりもメディアを通して観る人間の方が圧倒的に多い。それにつけても、根拠もなくスポーツ選手を貶(おとし)める最近の一部の風潮は残念だ。

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