11月終わり頃から、ぼつぼつ喪中はがきが届くようになった。最初は友人からLINEで喪中連絡が来た。次は、はがきで3通。少ない時は心穏やかだが、次々届くと死を考えずにはいられない。それがご子息の訃報だったりすると心が痛い。
近ごろは家族葬が増え、喪中はがきで知らされることが多い。
最近、長らく交流のあった男性(Uさん)が亡くなった。94歳の大往生であった。付き合いが広かったUさんは、男性の平均寿命を過ぎた頃から、年4回の時候のあいさつを、はがきで友人、知人に送ることを始めた。常々「はがきが来なくなったら、あちらに、逝ったと思ってくれ」と言っていた。生きているのか死んでいるのか分からない安否不明の人ではなく、自分の生存を知らせるために、はがきを送り続けていたのである。
Uさんは独居老人ではない。妻、子、孫、ひ孫を持つ大家族で、90歳を過ぎて孫からスマートフォンの使い方を習うなど、新しいもの好きで好奇心、知識欲が旺盛な人だった。はがきには自作の俳句に加え、政治や社会の世相を取り上げ、老人の未来論が綴(つづ)られていた。老人のささやかな意見発信である。9月、Uさんから時候のあいさつはがきが届く頃、さらに10月下旬になっても便りがない。近所に住む方から逝去を知らされた。
6月に届いた最後のはがきには、「私は『凡そ中庸』を目指したい」と、穏やかな文面である。90歳を過ぎてからは、一枚のはがきでつながっていた関係だったが、不思議と知らない間に逝ったという感じがしない。一枚のはがきも使い方次第で人生の最後を豊かなものにする。
10月からはがきが85円に値上がりし、デジタル年賀状に切り替えたり、年賀状じまいをする人が増えていると聞く。考えれば、年始のあいさつに行けない代わりに年賀状で済ませているわけで、儀礼の年賀状であっても紙で送りたい。
(光)