そろそろ買わないといけないと思うのは、来年のスケジュール手帳。予定を書き込んでいる今年の手帳は終わりに近い。年越しの1月までのページはあるが、毎年その前に買い替えるのであまり使わない。
手帳は書店の一角に日記帳と共に並んでいる。書店に来たにもかかわらず、手帳ばかりを見ていたこともある。日記の方は書く習慣がないので、あまり関心がなかった。
ところが俳句の歳時記をひもとくと、日記に関する季語はあるが、手帳の方は見当たらない。いつも参照している稲畑汀子(ていこ)編『ホトトギス新歳時記』(三省堂)にも角川ソフィア文庫の『俳句歳時記』にもないようだ。
歳時記は改訂版が出るので、最新の版にはあるのかもしれないが、ネットで「手帳 季語」と検索してもほとんどヒットしない。ヒットするのは『夏井いつきの365日季語手帖』(レゾンクリエイト)である。これはもちろん季語ではない。
一方、日記の方は「日記買ふ」「日記果つ」などがある。毎日の出来事や感想を記す日記には愛着があるからだろう。しかし、手帳に関する季語がないのは不思議である。仕事についてのメモが主になるから、俳句とはあまりなじまないのかもしれない。
気流子も以前は重厚なシステム手帳などを愛用していたが、今はほとんど使っていない。代わりにスマホで済ませられることが多いからだ。最近はシンプルなマス目が並んでいるだけの薄くて軽い手帳を愛用している。