Homeコラム兵庫県知事選と「ルビンの壺」【上昇気流】

兵庫県知事選と「ルビンの壺」【上昇気流】

斎藤元彦氏

このところ、ローマ帝国の基礎を築いたユリウス・カエサルの言葉がしばしば蘇(よみがえ)る。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」。

兵庫県知事選挙は「見たいと欲する現実」を巡っての争いだった気がする。大手メディアから情報を得る人はそこから描いた「現実」を、ネット情報に重きを置く人はそこからの「現実」を互いに主張し合った。

それで「ルビンの壺(つぼ)」を思い浮かべた。100年以上も前にデンマークの心理学者が考案した図形で、黒地の画面に白色で大型の壺が描かれている。ところが、それを白地の画面にしてみると、黒色の向き合った2人の顔に見える。

隠し絵とか騙(だま)し絵と呼ばれ、視点を切り替えない限り、いくら眺めても一つの図形しか認識できない。その罠(わな)に嵌(は)まると、なかなか抜け出せない。そんな二方が互いに主張し合っても詮無い話となる。試しにネットで「ルビンの壺」を検索し、ご覧あれ。

気流子が駆け出し記者の頃、コップを手にした先輩から「横から見れば四角いが、上から見れば丸い。さまざまな角度から見ないと正しい情報は得られない」と取材のイロハを聞かされた。「正しい報道」は小紙のモットーである。

大手メディアにも個人のSNSにも「見たいと欲する現実」をつくり上げようとするきらいがある。その「罠」に陥らないように情報リテラシーを高めたいと自戒する晩秋である。

spot_img

人気記事

新着記事

TOP記事(全期間)

Google Translate »