11月5日の米大統領選で共和党候補のトランプ前大統領が勝利した。事前の観測では稀(まれ)に見る接戦とのことだったが、結果は圧勝だった。一方、去る10月27日の我が国の衆院選では、与党が大敗して過半数を切り、憲法改正も発議の可能性すら大きく後退した。
トランプ新政権の誕生が生む影響を世界がかたずをのんで注目し、我が国の安全保障環境は近年益々(ますます)厳しさを増しているが、我が国の政治は微細な国内問題で右往左往している。
日本では、大東亜戦争の敗戦後、米国の庇護(ひご)の下の平和が長く続き、全国民がそれを当たり前のこととして何の違和感も持っていない。厳しい国際環境も、国民の多くは他人事だ。自分に関係する脅威とは感じていない。戦争の悲惨さは、遠い昔の物語と化した。当然、絵空事に見える国防の任に一生を捧(ささ)げようとする若者は少ない。
日本の歴史教育は抜本的な見直しが必要だ。古代、中世に関しては、軽く触れれば良い。明治維新以後、特に日露戦争以後の近現代史を緻密に学ぶ必要がある。当時の国際環境、各民族・国家等の係累と紛争、その背景と経過を細部にわたり分析・検討することが大切だ。
その上で、大東亜戦争敗戦後の、米国の占領期の日本改造政策を客観的具体的に見直すべきだ。
日本の歴史、伝統、文化、価値観を巧妙に破壊・熔解した占領行政の実態と、日本自らが起草した形で占領軍から与えられた現行憲法の分析・検討・批判は特に重要だ。
それにより、極めて甘く近視眼的な国際感覚と、明治維新から日清日露戦争の間の成功の驕(おご)りなどにより、日本が犯した多くの過ちが明らかになろう。それとともに、米国が犯した多くの過ち、特に台頭しつつある共産主義の脅威を見過ごし、手を組むべき日本を敵に回し戦争に追い込み、結果として中国大陸、東欧などの赤化を許した戦略的大失敗、マッカーサーが指導した日本改造弱体化政策の愚かさ、犯罪性なども、国民の目に明らかになるだろう。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶと言う。しかし、左右を問わない多くの学者、政治家らは、長年にわたり反日侮日外国人らの誹謗(ひぼう)中傷に屈し、ごく身近な自らの歴史を客観的に学んで反論・論破するどころか自虐歪曲(わいきょく)し、いわれなき謝罪を繰り返して来た。
国民一人一人が、他人に頼るのではなく、自ら客観的真摯(しんし)に歴史を学び直し、父祖の歩みに誇りを取り戻す。そこから、我が国の真の自立、独立が始まる。(遊楽人)