日本三大急流の一つ、熊本県・球磨川の上流に人吉城がある。鎌倉時代から幕末まで続いた名門の相良(さがら)家の居城だ。今は本丸、二の丸跡などのほか石垣が残るのみだが、その城内跡から発掘された地下室遺構がミステリーを呼んでいる。
この遺構は正確には城内にある江戸初期の家老の屋敷跡から。人吉市によれば「石積みで囲われ、水をためる施設を設けた地下室」で全国にも例がなく、その用途は謎に包まれているが、仏教の禊(みそぎ)の場ではないかと推定されるという。
ところが、郷土史家の益田啓三さんが地元月刊誌「くまがわ春秋」(昨年10、11月号)でこれに異を唱えている。仏教の禊の場なら、なぜ他の所で同種のものが発見されないのか。また、人吉の歴史史料にこの遺構の記述が一切出てこないのはなぜなのか。
遺構は意図的に埋められており、仏教施設なら多額の資金で数年もかかって築造したものを埋める必要はない。幕府に見られたら困る施設ではなかったか。史料も記録から削除された可能性が高いという。
専門家らの研究によると、大きさや構造からユダヤ教の身を清める沐浴施設ミクヴェではないかとしている。当時ユダヤ人は欧州で迫害されキリスト教に改宗を余儀なくされた経緯がある。
その施設がなぜ家老家に。時は幕府がキリシタン弾圧に大なたを振るった頃。露見すればお家断絶どころではない。令和2年の豪雨で被災し休館していた歴史館も来春には再開の見込みという。