「秋深し人に祈りの深ければ」(稲畑汀子)。俳句の季語に「秋深し」がある。秋には深さを感じるというのである。春や夏や冬には、そうした景色の奥行きを感じることは少ない。それだけ秋の空の澄んださまが物の姿をくっきりと映しているからだろう
もう一つは、落葉樹の葉が落ちて、枝葉で隠れていた風景が絵画の遠近法のように奥まで見えるようになるから。気候的にも透明な光が降り注ぐ印象で、秋はもの思う季節でもある
紅葉の季節を迎えた栃木県日光市などでは、海外からの観光客も大勢訪れているという。紅葉の風景はそれこそ絵葉書のようにきれいで日本独特のものである。美しいと同時に、そこに生命の最後の輝きを見る思いがすることも
自然の推移の中に人生を投影して仏教的な無常観をそこに覚えるのかもしれない。紅葉の季節が終われば、すべてのものが白い雪に覆われる冬がやって来る。紅葉は、その直前の華やかな自然からのプレゼントでもある▼「紅葉して明るき森の中となる」(伊藤玉枝)。紅葉についての俳句で、よく知られているのは、良寛さんの辞世の句「裏を見せ表を見せて散るもみじ」である。美しい景色をつくっていたモミジもその使命を終えると、あとは散っていくだけ。落ちた時から退色が始まり、黒ずんでいく
そうであっても、散るモミジには、もはや隠すものはない。その潔さが仏教の禅の精神に通じる日本の秋の深さである。