3日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」文化の日だった。78年前(1946年)に、日本国憲法が公布された日だ。
この日、天皇陛下(昭和天皇)は貴族院(現、参議院)本会議場で催された記念式典に臨席し、勅語書を朗読された。
「朕は、国民と共に、全力をあげ、相携えて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ」
昭和天皇は香淳皇后と共に、宮城前広場(皇居前広場)で開かれた東京都議会主催の「公布記念祝賀都民大会」にも出席され、広場を埋め尽くした都民の歓呼に応えられた。夜には都内で提灯(ちょうちん)行列も行われたという。
10月7日に帝国議会の審議が完了した日本国憲法の公布が11月3日になったのは、6カ月後の施行日を5月3日に定めて、逆算して決まったのだという。公布日をメーデーの5月1日や、男の子の節句(端午の節句)の5日にはできないためだ。
ただ、11月3日は明治天皇の誕生日(在任当時は天長節、昭和2年から明治節)だったので、政府にはGHQ(連合国軍総司令部)の介入に一抹の不安もあったそうだが、杞憂(きゆう)に終わった。
それで48年7月、国民の祝日に関する法律によって、11月3日が文化の日になったわけだが、先の勅語に表明された、日本国憲法の正しい運用を通じた「自由と平和を愛する文化国家」の建設がその底流になっているのは間違いない。それは敗戦に打ちひしがれた多くの国民の願望でもあったはずだ。
しかし、全ては日本が占領下にあった75年以上も前のことだ。既に日本は独立して70年以上たち、国際情勢も大きく変わって「愛する」だけでは自由と平和を得られない時代となって久しい。今は、自らの手で自由と平和を生み出す文化国家建設の努力が必要だ。その第一歩は憲法改正であるはずだ。
(武)