
日本の山々は奈良時代から修験者(しゅげんじゃ)が登っているが、修験者の遭難事故の記録が見当たらない――と8月3日付弊紙文化面にあった。小子は4年前から近くの山々を登り始めたが遭難理由がうっすら分かってきた。
初心者に毛の生えた程度の登山歴だが、その理由は四つあると感じる。一つ目は、現代人は登山日程が限られていることだ。グループ行となれば数カ月も前から登山日を決める。悪天候でも決行する可能性が強くなる。
二つ目は装備の重さ。日帰り往復8時間のコースで途中に水場がなければ水は最低2㍑必要である。着替え、昼食、上下の雨具を加えると重くなってしまう。
岩場を歩くとき、バランスを崩しただけで滑落の危険性が出てくる。相応の体力と集中力を持つ大部分の登山者は事故と無縁だが……。小子は、急登の登山道から100㍍ほど離れた斜面で滑落死した現場に遭遇した。ベテラン同行者の「焦らない」「岩場は3点確保で」との助言を胸に刻んでいる。
三つ目は「道迷い」に関して。近年の遭難事故原因のトップは時代を問わず「道迷い」である。滑落、転倒、病気と続き、疲労はその後だ。特に、初めての山や道は迷いやすい。小子も単独行で、数百㍍ほど過ぎて「おかしい」と思い引き返した経験がある。修験者は、一般的に軽装で通い慣れた道を歩む。山に登る目的は頂上付近の寺社に参拝するため。経験豊富な先達(せんだつ)の下で修行するとなれば遭難の危険はほぼゼロだろう。
そして四つ目は「山は食糧の宝庫」という話をベテラン登山者から聞いたことがある。草や実を見て、食用か毒かを見分ける能力と経験、これも重要な要素と思う。
ともあれ、一般登山者の小子にとって、山は花と広大な自然を体感する恵みの空間だ。
(秋)