
今年は小説『路傍の石』で知られる作家、山本有三の没後50年に当たる。東京都三鷹市の山本有三記念館では、これを記念して「濁流 雑談 近衛文麿」を展示している(2025年5月11日まで)。
山本は1909年一高に入学したが、近衛はこの時の同級生で、親交が深まるのは後になってからのこと。『濁流』は近衛をテーマにした回想記で、73年4月4日から毎日新聞に連載され、41回書いたところで中断した。
同展では2人の親交を示す書簡や、近衛自筆の書、創作ノートなどを紹介している。『濁流』は、44年7月1日、緊迫した戦時下にあって、郷里の栃木市に疎開していた山本のもとに、近衛の電報が届けられたことで始まる。
「すぐ上京してくれ」という。列車の切符がとれなくて、荻窪の近衛の住まい荻外荘に着いたのは3日。近衛はどのように戦争を終結させるのかに思い悩んでいて、聞かされる戦況に山本は驚く。
報道内容とまったく違っていたからだ。そして近衛はある計画を打ち明ける。それが東条英機首相の暗殺で「その声明を書いてもらいたい」という。詳しいことを語らないので山本は乗り気にならない。
この時2人が話題にしたのは和平工作で、近衛が興味を示したのが明治維新での徳川家の負けっぷり。そして別の日、再会してみると、近衛はもう話題にしなかった。山本は近衛から伝記の執筆を依頼されたというが、驚くべき当時の作家と政治家の関係だ。