石破茂首相の新政権が発足し、衆院は解散、27日投開票に向けて動き出した。政局は荒れている。
5回目のチャレンジで総裁選を勝ち抜いた石破氏。この間の積もる想(おも)いを胸に、国会の所信表明では自身の言葉で、国家観を示し、行くべき日本国の近未来を描くべきであった。首相の座に押し上げた、最大公約数の自民党議員、党員らに、石破カラーをもって希望の出帆とするのが、本来の役目であった。
安全保障政策では、日米安保の堅持を前提に、持論の「アジア版NATO」や「日米地位協定の改定」に向かうビジョンを掲げることもできたはずだ。経済政策では、財政の健全化を追求し、戦後わが身を顧みずに働いた世代が蓄えた貯蓄を、金利のある生活で、安心して消費に回せる社会を描くこともできたはずだ。
だが、新政権の政策について、判断材料を国会の「予算委員会」を通じて提供するとしていた、固有の公約も封印した。逆に、解散時期について対極の考えにあった小泉進次郎氏の、わずかな時間を惜しんで早期とする方針に豹変(ひょうへん)した。
衆院解散権こそは、首相の「伝家の宝刀」と呼ばれる専権事項だ。首相就任前からこれを口にし憲法を軽んじるに加え、板についた自信をもって「わが決断」で「この日に」と述べず、総理大臣たるをかなぐり捨てている。
支持率が長期に低迷し、総裁選への再出馬を断念した岸田文雄前首相が、自身による政策の継承をと語っているようだ。巷(ちまた)では「岸破(きしば)」政権との揶揄(やゆ)も散見する。石破氏はリスク回避をし、岸田氏はキングメーカーたらんと、総裁選で旧岸田派の票を乗せた恩を回収するが、国民の「納得と共感」とは無縁だ。
旧安倍派からの閣僚任命を皆無にして、亡くなった安倍晋三元首相を国賊と辱めた村上誠一郎氏を総務相に据えた。喧嘩(けんか)を売るが如(ごと)くの人事に飽き足らず、15日の衆院選公示を前に突如、政治資金不記載問題ですでに党内処分された中から12人の非公認(1人を除き旧安倍派)、34人の比例重複からの排除(2人を除き旧安倍派)の烙印(らくいん)を押した。
旧岸田派の会計責任者は3059万円の不記載で有罪、その時の岸田派会長は岸田前首相だが、悠々公認だ。500万円不記載があった岩屋毅氏も、石破内閣で堂々外相に就き、同様の扱いだ。こうした外形的処置から、旧安倍派議員らへの怨念晴らしが進行中と言わざるを得ない。
これまで重ねた党総裁落選で、石破氏は人知れず辛酸を舐(な)めたことだろう。今日の政界で、石破氏のみぞ知るその辛さを、今日しかし、ここは岸田氏の助言に従って「ノーサイド」の精神に覚醒すべきであった。旧安倍派の面々を、合理的に遇する工夫ある党内差配によって、挙党体制へと昇華させるべきであった。
左翼、野党の人々の回答を含め、各メディアの世論調査で常に次期首相にと、トップに挙げられた石破氏。首相になった今、白紙の上に清新な心で、日本国と国民全体の幸福をどのようにリードするよう願われているのか、日本の先人からの願いと共に、その反芻(はんすう)が必要だ。
我欲に根差す、政界のさまざま誘いを振り切れず、党内分裂の危機に突き進むのではなく、過去の怨念と決別する戦いに石破氏は勝利すべきだ。(駿馬)