【羅針盤】唱歌の愛国心を復元しよう

ロシアのウクライナ侵攻から2年半、いまだに解決の糸口が見えない。専制主義国家の一方的な力による現状変更の試みは東アジアでも現出しており、かつ、その紛争の度合いが増している。日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、平和安全法制、安保関連3文書の決定、防衛予算の増額などの防衛政策が次々と推進されて防衛態勢が強化されつつあるのは心強い。だが、「国民の防衛意識、国を守る気概は上がってきているだろうか?」。

日本は歴史上、幾度も国難に遭って来たが、その一つが鎌倉時代の蒙古襲来・元寇(げんこう)である。

読者は1892(明治25)年に作られた唱歌「元寇」をご存じであろうか? その前年に清国は、西洋から購入した新鋭戦艦「定遠」を旗艦とする北洋艦隊を日本に派遣し威圧した。日清間の諸問題を抱え、いまだ小型艦艇しかなかった日本には大変な脅威であり、清国との戦争危機が俄(にわ)かに高まった。

その時に国民を鼓舞したのが唱歌「元寇」である。蒙古襲来に立ち向かった600年前になぞらえて、日本人としての気概を思い起こし、愛国心を目覚めさせ、日清の戦に立ち向かう戦意を高揚する唱歌として広く国民に歌われたという。その2年後に日清戦争が勃発した。昨今、台湾有事は日本有事と言うが如(ごと)く中国の脅威を目の当たりにする今こそ、この唱歌「元寇」をリバイバルさせたいものである。

明治以降、文部省唱歌は児童への豊かな情操教育であるとともに日本人の国民性と愛国心を涵養(かんよう)する教育の場であった。その教えで育まれた我々の父祖は、先の大戦で日本精神をもってお国のために戦ったのである。

米英は、戦争に勝ったとはいえ戦争を通じて幾度も実感した日本人の愛国心と一心同体の民族アイデンティティー、苦難を克服する大和魂・敢闘精神を非常に恐れていたといわれる。日本が二度と戦勝国に歯向かうことができないように武力放棄を強要し、伝統的な文化、価値観を否定し日本民族を骨抜きにしようとした。

その最たるものが占領軍司令部(連合国軍総司令部=GHQ)の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争の罪悪感と戦争に導いた諸悪を日本人の心に植え付け断罪させるための宣伝計画)」であった。「教育勅語」と共に多くの唱歌が戦争賛美の根源と断じられ文部省唱歌から削られ、残った唱歌も「言葉狩り」で後半部分が削除されたり歌詞を変えられたりした。

例を挙げれば切りがないが、『螢の光』では、3番の“筑紫の極み陸の奥、海山遠く隔つとも、その真心は隔て無く、一つに盡(つ)くせ國の為”と4番の“千島の奧も沖繩も、八洲の内の護りなり。至らん國に勳(いさお)しく、努めよ我が背恙(つつが)無く”が削除された。

『我は海の子(逞〈たくま〉しく成長する男児が海洋国日本を護〈まも〉るという力強い歌)』は4~7番を禁止した。(7番“出で大船を乗り出して 我は拾わん海の富 出で軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国” )

『汽車ポッポ』では原曲の“兵隊さんを乗せて~~僕らも手に手に日の丸の旗を振り振り送りましょう”が“僕らを乗せて~~”に換えられ、中山晋平作曲の『田植』では、“御国のため”が“皆のために”に書き換えられた。

『蝶々』では“桜の花の栄ゆる御代に”が“花から花へ”と書き換えられた。『里の秋(原曲は「星月夜」)』で、3番の“きれいなきれいな椰子の島 しっかり守って下さいと ああ父さんのご武運を今夜も一人で祈ります”が“さよならさよなら椰子の島 お船に揺られて帰られる ああ父さんよご無事でと今夜も母さんと祈ります”と書き換えられた。

戦勝国といえども他国の文化、教育に干渉し、かつ作詞家の想(おも)いを無視した歌詞変更はけっして許されるものではない。戦後80年になろうとする今、この事実を深く顧みて、GHQの過った歴史観から脱却して、「教育勅語」と共に唱歌を復権復元すべきである。(遠望子)

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