朝晩はクーラーを点(つ)けていないと眠れないくらいの暑さが収まり、少し肌寒くなっているほど。体感と季節感のずれが、ようやくなくなったということだろうか。
「秋」という漢字を見ると、「禾(のぎ)」へんから稲を連想し、青空の下で豊かに稔(みの)った穂が垂れる姿が浮かんでくる。「火」の方はよく分からない。語源はいろいろあるようで、中国では収穫を意味する「収(シュウ)」がその一つとされている。
日本語の「あき」については、穀物が実り「飽き満ちる」、紅葉の「赤」、空の色が「明らか」などの説がある。中国の説では人間が主体になっているが、日本語だと自然の風景が入ってくる。言葉自体に日本人の季節感や自然観が垣間見られると言っていい。
しばらくコメ不足でスーパーの棚から消えていたが、新米が入荷した。ブドウやリンゴ、ナシなどの果物も出そろった。ただ、価格的にはなかなか手が出にくい。庶民感覚としては、まだ実りの秋を実感することができないのが実情。
家庭菜園をやっている知人から、畑で収穫されたナスを頂いた。スーパーのナスとは違って、驚いたのはその大きさと長さが不ぞろいだったこと。伸びやかに育ったことを連想させた。
江戸時代の二宮尊徳が、初夏にナスを食べて秋のイネの凶作を予見した話がある。冷害に強いヒエなどの雑穀を植えさせ、天保の大飢饉(ききん)を乗り越えたという。尊徳のような日本の将来を託すに足るリーダーの出現を望みたい。