「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」――。文芸評論家の福田和也氏の代表的な書籍のタイトルである。氏の訃報が届き、真っ先に思い浮かんだ。
1990年代半ばの「失われた10年」と呼ばれた平成不況下の出版で、当時の厭世(えんせい)的な世相を突いていた。表紙のキャッチコピーが印象的だった。
―「誇り」を失い「恥」をわすれ「善意」と「親切」で事に当れば、すべてが解決すると錯覚している幼稚な日本人へ与える書―。いやはや、滅多斬りである。
その頃、月刊誌「新潮45」が「憲法は日本人をどれだけ悪くしたか」との特集を組んだ(97年1月号)。その中で福田氏は、こう言った。
何が何でも(肉体の)生命が大事なのだという発想が、あらゆる領域にゆきわたって、すみずみまで浸透してしまった結果、肉体以上の価値を認めない醜い日本人となった。価値観の「破壊」が日本社会全体を覆っており、これこそ「人権憲法」の産物である、と。
このところ保守論客としての言動は聞かなかったが、昨春、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』(河出書房新社)を上梓(じょうし)されている。副題に「コロナ禍『名店再訪』から『保守再起動』へ」とある。
販売用のキャッチコピーは凄(すご)みがある。「美食痛飲の限りを尽くし10年に渡り体調を損ねた破滅的な快楽主義者が、名店再訪から新たな保守思想を立ち上げる」。表紙には悟りを開いたような清々しい顔がある。享年64。ご冥福を祈る。