かつて純文学の小説など、これはという本は函(はこ)入りで発刊された。そんな函入り本が出なくなって久しい。筆者が架蔵するもので最も新しいのは、阿川弘之著『亡き母や』(講談社)で、2004年刊。当時すでに、函入り文芸書は珍しくなっていた。
さすがに個人全集などは今も函入りで刊行されるが、全集ではないが函入りで出ていた新潮日本古典集成の新装版などは函なしだ。
函入り本は、それが読み捨てにされず、何度も読み返されることを想定して作られてきた。いかに人気作家のものであっても、中間小説や大衆小説、時代小説などは、函入りでは出されないのはそのためだ。
製本の古い伝統を持つ西洋では、大事な本は革装され、大切に保管され何度も読み返すことができるようにしている。しかし意外にも函入りの本はほとんど見ない。日本で函入り本がたくさん出たのは、和本を保管する帙(ちつ)の文化からきているのかもしれない。
函入り本が出されなくなったのは、費用がかさみ値段が高くなることが第一の要因だろう。もう一つは、読者がかつてのように、文章の美しさや詩的なものを、文学にそれほど期待しなくなったことが大きいようだ。
作者としては、再読に耐える作品を書こうと心血を注いでいるのだろうが、編集者にその志が不足しているような気がする。編集者は、消耗品の製造者ではないはずなのだが。
(普)