校歌への誇りより野球?

応援団

テレビをつけたら、NHKで「鶴瓶の家族に乾杯」(9日夜)をやっていた。落語家の笑福亭鶴瓶さんがゲストと共に、各地を訪ねるバラエティー番組で、芸能人ら有名人が突然現れた時に見せる庶民の反応が面白い。

この回の旅の舞台は岩手県盛岡市。印象的だったのは、鶴瓶さんが伝統ある応援団の噂(うわさ)を聞いて訪れた盛岡第一高校の生徒の対応だ。応援団に会いたいとのリクエストに応えて、すぐさま応援団が勢ぞろい。年季が入りボロボロになった学生服と帽子、そして下駄(げた)履きという“バンカラ”はさすが伝統校。こうした硬派の応援団は岩手県のほか、筆者の出身地でもある宮城県などで今も残る。

さらに「応援を見たい」と鶴瓶さんが言えば、居合わせた生徒たちが整列し、応援団員が振る旗に合わせて、腹から声を出して校歌を披露した。同校に息づく伝統と愛校心が伝わってきて好感が持てる。

テレビ画面越しに、応援団員をはじめ校歌に誇りを持つ同校の生徒たちの姿を見て、高校野球「夏の甲子園」大会の優勝校、京都国際高校のことを思い出した。韓国系の民族学校をルーツにすることから、韓国語の校歌が物議を醸した。筆者がそれ以上に違和感を持ったのは野球部監督の言葉だ。「試合後は韓国語の校歌がどうのとか、……僕らからしたらどうでも良い報道ばかり」。しかも「僕は学校が嫌いです」と言ってのけた(「週刊ポスト」9月13日号)。

野球部のスタッフは校歌を変えてほしい、と学校側に要請してきたという。それを無視され続けてきたのだから、学校側に感情的になってしまっているのかもしれない。しかし、監督は高校教諭でもある。野球部と校歌は何の関係もない、と言っているのに等しい発言は、教育者として不適切ではないか。学校や校歌に誇りを持つことを教えることができる学校で、野球部監督をやろうとは考えないのだろうか。

(森)

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