幸せを数えたら、片手にさえ余る。不幸せ数えたら、両手でも足りない~/年配の方ならなじみのある歌だろう、ばんばひろふみさんのヒット曲「SACHIKO」の一節だ。薄幸とおぼしき女性を慰め元気づけるメロディーは懐かしい。
幸せを追い求めるのが人生の姿とも言えるが、その過程で「不幸」は個人だけでなく、災害や戦争、疫病など国や世界のレベルにも及ぶ。こればかりは、こちらの方がより不幸だといった比較はできない。人それぞれだろう。
「幸せをつかむには」というと何か人生訓やハウツーものとなりがちだが、自分なりの「根拠」さえあればその幸せ追求やその実現性は誰も否定できないという。大金持ちになりたいと連呼するだけでは、身近な人ほどバカにしやすい。
ところが、例えばたった1枚の宝くじ券さえあれば大金入手の可能性はまったくのゼロではない。当たる可能性がある限り、単なる夢想家と嘲笑したり非難したりすることはできまい。
ささやかな自分の信じる根拠さえあれば、人はその生きる道を何とか進むことができる。とはいってもやはり挫折や困難な前途はあろう。
「SACHIKO」の歌はこう結ぶ――「倒れそうに疲れた時は、僕の両手に戻ればいいさ」「そして心が傷ついたなら、泣きながら帰っておいで。僕はお前のそばにいるよ」。最後にそのすべてを受け入れてくれる人、待つ存在があることが幸いなのかもしれない。