残暑が続くが、日が落ちて暗くなると、緑地や道路脇の植え込みから虫たちの賑(にぎ)やかにすだく声が聴こえる。やはり秋だなと思う。何という虫の音なのか聴き分けることができないのが残念。
虫の声を愛(め)でる風習は、世界でも珍しいようだ。小泉八雲(やくも)(ラフカディオ・ハーン)は、それが古代のギリシャ人に通じるとし、「我々西洋人はほんの一匹の蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声を聞いただけで、心の中にありったけの優しく繊細な空想をあふれさせることができる日本の人々に何かをまなばねばならないのだ」と随筆「虫の声」で書いた。
江戸の人たちは虫の声を聴くため、わざわざ隅田川東岸や飛鳥山など「虫の名所」へ出掛けた。特に有名だったのが道灌(どうかん)山で、歌川広重が「東都名所 道灌山虫聞之図」を描いている。
日本人が虫の声に情緒を感じるのは、西洋人が音楽脳の右脳で聴き雑音として処理しているのに対し、言語能の左脳で聴いているためという。
これについてはいろいろ議論もあるようだが、日本が虫の声を愛でる文化を育ててきたことは素晴らしいことだ。人間の自然への対し方が問われている今、改めて見直す価値がある。
虫の鳴き声にもいろいろあり、クツワムシなどはうるさいくらいだ。しかし、どの虫も雄が雌に自分をアピールするため声を限りに一晩中鳴いているのである。生きとし生けるもの、子孫を残すために皆必死だ。そんなことを思うと、虫たちがいじらしく、愛(いと)おしく思えるのである。