
今夏手にした本の一つが『生命(いのち)の谺(こだま)-川端康成と「特攻」』(多胡吉郎著)。作家の川端康成が昭和20年4月24日から1カ月、海軍報道班員として鹿児島県鹿屋の特攻出撃基地に滞在したが、その時の様子をノンフィクション作家が描写した。
「(川端が)鹿屋に来てわかったことは、人生の最後を迎えるその日まで、読書を望む特攻隊員がいることであった」と多胡氏。川端はこの間、家族への書信で「特攻隊員も読み物を熱望している。食べる物より心の糧の書物が欲しいとの事」として急遽(きゅうきょ)「本三四十冊」の寄贈を所望した。
また川端は別の書信で「米軍による空襲の折、特攻隊員らと同じ防空壕に避難したが、そこで隊員から配給のお菓子をいろいろもらった」と書き、多胡氏は「特攻隊員たちとの人間的な直接の触れ合いがあったことを窺わせる」と。明かされた隊員らの「豁達(かったつ)さ」には驚くべきものがある。
今年は昭和19年に始まった特攻作戦から80年の節目。魁(さきがけ)となった関行男海軍中佐ら5人の特攻戦没者を祀(まつ)った愛媛県西条市の楢本神社では10月25日(金)に慰霊追悼式典が行われる。
以前、同神社に参った時に得た追悼集「敷島隊五軍神の志るべ」によると戦時、「軍神の母」ともてはやされた彼らの親族、縁者らが、戦後は手の平を返したようなマスコミの非難、攻撃に遭った。その苦境が記されていた。
今も埋もれている当時の社会実相などが今後さらに明らかにされることを望む。