50年ほど前、米空軍大学で、ある学者が600人を超える学生を前に、広島、長崎への原爆投下について70%を超える米国人が正当性を認めているが、欧州戦線に間に合ったらドイツに落としただろうか?と聴衆に尋ねた。驚くことに大半の学生がドイツには落とさないと答えた。すると即、アジア系の留学生が立ち上がって、アジア人蔑視だと激しく抗議した。
学者はたじろぎながら弁明した。原爆で都市と軍事拠点を破壊し、戦争を続ける日本の降伏を早めることができた、米軍人のみならず日本人の犠牲も抑えた、と言う。
が問題は、一般市民への無差別攻撃であり、未曾有の惨禍が予測された上での確信犯であり、当時でも重大な戦時国際法違反だ。それを日本へは正当だが、ドイツには投下しないとは何たる米国人の認識かと私も憤慨した。と同時になぜ日本の原爆開発は遅滞したのか、間に合っていたら広島・長崎はなかったのだろうかと考えた。
20年も前、インドの核実験強行に国際社会の風当たりが強い当時、親日家のフェルナンデス国防大臣を表敬した。オフィスには広島原爆投下を描いた大きなタぺストリーが飾られていて驚いた。
理由を尋ねると「自分はヒロシマの惨状に悲しみと憤りを感じており、核兵器には大反対であるが、インドの核実験、核保有は、中国の核に対する抑止力を得るために止(や)むに止まれず行ったものだ。世界中が核兵器を廃絶するまでインドは核兵器を持ち続ける」と明解な返答だった。
国を守る上で、核に対抗するのは自らの核でしかないと言い切る姿に、厳しい中印対立の現実とインドの決断の清さを思い知らされた。
北朝鮮の核・ミサイルの脅威に曝(さら)される韓国では自国の核開発・保有に賛成が66・0%もあり、尹錫悦大統領自身が、国防会議で自国での核兵器開発の可能性に言及している。
米韓は合同核計画グループを発足させ核兵器の使用に韓国がさらに関与できるよう協議し、米核兵器の韓国配備、あるいは欧州の取り決め同様に韓国が米核兵器を使用できる核シェアリングについて協議すると予測されている。
わが国は世界唯一の被爆国として世界に核兵器の削減・廃絶を訴えるとともに核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という「非核三原則」を堅持してきたが、その一方で自国の安全を米国の拡大抑止(核の傘)に依存している。核アレルギーの日本にあって一見矛盾する核政策であるが、安全保障の厳しい現実の一面である。
だが、このままで良いのだろうか。今や戦術核の中距離弾道ミサイルを増強する中国や北朝鮮の脅威に曝される日本として、今後いかに対処すべきか真剣に考えなければならない。
まずは米国の「拡大抑止」の効果を高めるためには、非核三原則の「持ち込ませず」を変更し米核兵器の配備を求める必要があろう。と同時に米国の「拡大抑止」の揺らぎに備えて、「持たず、作らず」を変更して自国の核開発・装備について検討と研究を開始することを提唱したい。(遠望子)