【上昇気流】切支丹弾圧の総元締め

東京・茗荷谷駅から近い閑静な住宅街の一角に、切支丹(キリシタン)屋敷跡と呼ばれる碑がある。江戸時代初期に宗門改役の井上筑後守政重の下屋敷内にあった、いわゆる転びバテレンの収容所跡だ。井上はいわば幕府におけるキリシタン弾圧の総元締めだった。

その棄教、改宗への仕置きは苛烈を極めたという。代表的なのは地面に穴を掘り受刑者を逆さ吊りにした「穴吊りの刑」。すぐに死なないよう息のあるうちに「転ぶ」まで吊るし続けるというものだ。

イエズス会宣教師で管区長代理として日本での実質的責任者だったフェレイラ神父もこれで棄教し、その後改宗側に回る。背教者に仕立てることが狙いだった。

その点で井上は強硬一辺倒ではなかった。尋問に当たっては、その宣教の志の固さをむしろ称賛し、職務と国情の制約がなければ手を取り合う仲になっただろうとまで慰労して懐柔する老獪さもある。

このあたり『オランダ商館日記』に見る史実は遠藤周作の代表的な小説『沈黙』に詳しい。映画化された「沈黙―サイレンス―」(米、スコセッシ監督)では、彼の一見好々爺然としたキャラをイッセー尾形さんが好演、いや怪演している。

キリシタン弾圧は幕府政策ではあったが、それを実質現場で体現したのが井上であった。彼は転んだパードレ(宣教師)に「余に負けたのではなく、日本の風土に負けたのだ」と慰めるように勝ち誇ったが、現代のわが国宗教界にどう映るだろうか。

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