武術家の田中光四郎さんは現代の塚原卜伝(ぼくでん)とも言うべき人物だ。1940年福岡県田川市に生まれ、幼少時から武道に親しみ、父親や伯父たちに鍛えられ、研鑽(けんさん)を重ねた。柔道、剣道、空手の体験をベースにした武道を学び、古来の刀法、棒術、短刀術をも加えて自らの日子流を立ち上げた。
1982年にアフガン難民に出会ったことで、舞台をアフガニスタンに求めた。「いざ死ぬる場所で如何に死ぬか」と納得し、旧ソ連軍と戦って難民となった人々を救うという「大義」から85年2月、戦場に入り戦士ムジャヒディンに。
同時に日記と和歌を書き始め、歌は歌集『あるがままなすがまま』(アジア新聞社)として上梓(じょうし)された。その人生観をあとがきに記している。
「待つことと耐えることは男の修業の第一歩。/世のため人のために大義の旗の下に生きよ。/心行合一。己を鍛えて間違わない自分を造り、やってからものを言え。/何より先ず稽古をせい」
6年余の戦いで多くの友人が戦死した。彼らの思いを世に伝えることも大事なこととこの歌集が編まれた。
「ふと見(み)れば黄(き)に染(そ)まりつつ山谷(やまだに)に風(かぜ)の色(いろ)見(み)る水(みず)の音(おと)きく」
海抜1800㍍。季節の変わり目は早く、7月にはススキの穂が真っ白になったという。この歌のように、アフガニスタンの大自然や地元民の生活を詠んだ歌も多く、不動心が伝わってくる。
(岳)