今年も間もなく「終戦の日」8月15日を迎える。日本が大東亜戦争に負けて、無条件降伏をして79年、来年は80周年に当たる。ご遺族の方々も高齢化して、靖国神社参拝も大変なお年だろう。
数日前、電車の中で下校中の高校生が、「日本ってアメリカと戦争をしたのか?」と、スマホを見ながら友達と会話しているのを見て、自分の目を疑った。しかし、斯く言う私も、戦争は体験していない。戦後生まれの団塊の世代と言われる一人だ。今や戦後、親・子・孫と3代にわたり、戦後79年という年月の長さを感じ、16年前のガダルカナルを思い出した。
平成20年9月、私は「ガダルカナル島慰霊碑清掃奉仕団」として、ソロモン諸島のガダルカナル島に行った。1週間かけて12個部隊の慰霊碑を清掃しながら参拝した。ほとんどの慰霊碑は、雑草が茂る荒れた地にひっそりと立っていた。
夕方、ホテルの海岸に出て、秋の月に照らされた二つの島を見ながら涼んでいたら、ホテルの人があれがサボ島であちらがフロリダ諸島だと教えてくれた。サボ島沖と言われている海面の狭さに驚愕(きょうがく)した。この狭い水道で、月明かりもない暗夜に日本海軍艦艇は、高速で米海軍と闘ったのだ。海底には30隻以上の日米艦艇が折り重なるように沈み、アイアンボトム・サウンドと呼ばれている。艦艇と共に眠っている日米両将兵に「安らかに」と一礼して黙祷(もくとう)を捧(ささ)げた。
「終戦の日」を迎えるに当たり、祖国のため、家族のためにと戦争に赴き、命を懸けて闘い、帰らぬ身となった多くの方々の気持ちと歴史の事実を、子供たち、孫たちに教え継ぐのがこの日だと思う。
そして戦後の焼け野原から復興して今日のわが国があるのは、残された者が戦没者の意を酌み、その意に応えて頑張った結果と言えるだろう。多くの御霊の御遺骨はいまだに祖国に帰ってないが、御霊は九段の杜に帰っておられる。国のために殉じた246万余柱に、感謝する日でもある。
総理をはじめ戦後生まれの我々世代以降は、7年間にわたるGHQ(連合国軍総司令部)の占領政策からいまだに目覚めずに、家庭でも学校でも日本の伝統・文化・歴史を正しく教わることなく80年を迎えようとしている。
戦争は避けなければいけない。しかし世界を見ても、分かるように、国のために汗を流し血を流す覚悟が必要な時がある。そのための軍備と国家意思がなければ抑止力は利かない。最高指揮官として総理の靖国神社参拝を、御霊は待っている。(呑舟)