能登半島地震から7カ月が経過した。被害の激しかった奥能登はもともと高齢化、過疎化が進んでいたが、復旧の遅れが人口の流出に拍車を掛けている。
石川県によると、奥能登からの転出者数は6月までの半年間で計2700人で、昨年同期比2・4倍。最も多いのが輪島市で1325人、次いで珠洲市616人、能登町457人、穴水町302人となっている。
大阪生まれの人と能登半島地震について話していて、能登の人はどうして金沢などに避難しないで地元にとどまるのか、何か特別なものがあるのかと聞かれた。確かに不便な避難所にとどまるなど、その土地へのこだわりが強過ぎるように見えるかもしれない。
しかし、能登生まれの気流子には、その気持ちはある程度理解できる。能登の人々には、世界農業遺産に登録された能登の里山里海、「能登は優しや土までも」と言われた人情・風土への強い愛着があるのだ。郷土愛は誰にもあるが、能登は特に濃い感じがする。
にもかかわらず人口流出がここまで進んでいるのは、よほどのことが起きているということだ。まず住む家がなく、再建の見通しが立たない。生業の再建はもっと難しい。
転出者は恐らく高齢者より若い人が多いだろう。本来は復興の牽引(けんいん)役とならねばならない人たちが流出してしまっては未来はない。県が掲げる「創造的復興」は絵に描いた餅になる。人口流出を止めるためにも、復旧の加速と確かな未来像の提示が求められる。