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「英雄」。昨今の日本ではさほど聞かなくなった言葉である。古来、身命を捧(ささ)げて他のために尽くすことを「犠牲」と言い、それを成し遂げる人を「英雄」と呼んだ。
米東部ペンシルベニア州バトラーの選挙集会で起こったトランプ前大統領暗殺未遂事件で、50歳の消防士男性が銃弾を受け亡くなった。この人は英雄である。
男性の名はコリー・コンペラトーレさん。妻と2人の娘と一緒に集会に参加していた。テロリストが発砲した直後、家族を守ろうと覆いかぶさり自ら犠牲になった。ジョシュ・シャピロ同州知事はコンペラトーレさんを英雄として称(たた)え、州旗を半旗にして弔意を表すという(AFP=時事)。
集会のあったバトラーの地名は、1791年のインディアン制圧戦で戦死したリチャード・バトラー少将にちなむ。当地に名を遺(のこ)す英雄である。
2001年9月11日の米同時テロでは、ハイジャックされた4機目の旅客機が同州南西部に墜落した。機内では乗客全員がハイジャック犯と果敢に戦った。彼らも英雄である。飛び続ければワシントンの連邦議会議事堂かホワイトハウスが標的にされた。
ある個人のために犠牲になる人はその個人の英雄であり、家族のために犠牲になる人はその家族の英雄である。国のために犠牲になる人は無論、その国の英雄である。その行為は個人や家族、国を超えて称えられる。コンペラトーレさんの犠牲は「英雄」の何たるかを思い起こさせてくれた。