トップコラム【上昇気流】田母神集落と「一揆」

【上昇気流】田母神集落と「一揆」

有権者に支持を訴える田母神俊雄氏(左)=6月27日、東京都台東区

東京都知事選では過去最多の56人が立候補して世間を騒がせたが、過去に938人が立候補した村長選があったというので驚かされた。読売新聞福島版(4日付)が伝えている。

それは福島県郡山市の東部に位置する中田村。1956年に宮城村と御舘(みたて)村が合併して誕生した村だ。宮城地区の住民はこの合併を良しとせず、59年の村長選で反対の意思表示をしようと、25歳以上の住民が集団で立候補する奇想天外な抗議行動に打って出た。

当時、村長選には供託金がなかった。それを逆手に取っての立候補戦術だった。選挙運動は全くやらず、投票日にはそろって稲刈りに勤(いそ)しんだ。それで宮城地区の投票率は1割にも満たなかった。まるで昭和の百姓一揆。立候補者名簿は連判状を思わせる。

一揆は鎌倉時代には「心を一つにする」という意味合いで使われ、「義」(人の行うべき道理)があるとされた。その意味で、村長選の大量出馬も一つの一揆に違いない。これに比して都知事選のそれは、てんでばらばらの自己主張ばかりで一揆とは言い難い。

中田村は紆余(うよ)曲折を経て65年に郡山市と合併し、今ではわだかまりはない。一方、中田村の南隣には田村町があり、ここも郡山市と合併した。その一角に田母神(たもがみ)という小さな集落がある。

都知事選で一途に「保守」を訴えていた田母神俊雄・元航空幕僚長の出身地である。この人からは「一揆」のオーラが出ていた。土地柄と無縁とは思えない。

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