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東京都知事選の選挙風景にはいささか呆(あき)れた。同一ポスターが溢(あふ)れる「掲示板ジャック」に、目を覆う「女性全裸ポスター」。文字通り見るに忍びない。日本人の品性は落ちるところまで落ちたか。そんな思いが湧いてくる。
それで四半世紀ほど前の話を思い出した。大阪府立大学で学生サークルが公演の宣伝用にヌード写真入りの立て看板をキャンパスに設置した。これに対して大学側は風紀を乱すとして看板を撤去させた。
学生側は誰かに入れ知恵されたのか、大阪府を相手取って看板撤去は「憲法が保障する表現の自由の侵害に当たる」として公演中止の“被害金”約100万円の支払いを求める損害賠償訴訟を起こした。
訴えは退けられたが、ここで持ち出されたのが憲法21条の「表現の自由」条項だ。何せ「一切の表現の自由は、これを保障する」としている。
学生運動が華やかな頃、これを根拠に訴訟が頻発した。集会やデモを規制する公安条例、結社を制限する破壊活動防止法、「猥褻(わいせつ)」と称し“芸術”を制限する刑法。どれもこれも違憲だと訴えられた(いずれも合憲判決)。
憲法は自由の濫用禁止や「公共の福祉」を謳(うた)うが、戦後の解釈論議をリードした憲法学者、宮沢俊義氏は「(公共の福祉は)どこまでも個人主義に立脚する」として「個人の自由」を後押しし、もつれた裁判も少なくない。がやがやする都知事選にもそんな影響が残っているのだろうか。街頭でふと考えた。