令和6年の通常国会が閉幕した。岸田文雄首相は事実上の最終日である21日、記者会見で次期首相となる人物に求められる資質を問われ、日本国が時代の大きな転換期に処する今、「大局観」の持ち主であることを条件に挙げた。自身の3年足らずの政権運営を振り返りながら、そこで限界を露呈したことへの自省から熟慮した提言とするなら納得する。
大局観こそは岸田首相において特徴的に欠如した資質である。残念ながら、自身の指摘の通り、国内外の歴史的な局面に臨みながら、この国政トップの資質問題により日本が数多くのものを失った。多数の国民が感じる不利益からくる反発心と諦めは、特に昨年秋以降、政権支持率の低迷とその長期化として評価が下されてきた。だからこそ今、こんな首相では日本に未来は乏しいと、次期首相となる人物には大局観の資質をと、岸田氏と一緒に声を大にして訴えたい。
大局観は、本質志向の判断力や、持続可能性の視点に繋(つな)がる。反対に大局観を欠くと、短絡的になり、本質的な意味で無責任になる。昨秋以降の政治資金不記載問題では、形式犯をメディアに裏金と書かれるや、今日まで本質をずらされたままだ。東京地検特捜部の捜査によって1月に、刑事事件としていったん決着を見た後も、メディアや野党に振り回され、長々と政治不信の渦を払拭(ふっしょく)できずにいる。
岸田首相はこの間、人事権を行使しながら政権内で一人相撲のように、安倍派の大臣、副大臣を性急に更迭したり、自身の派閥を突如解散させたりした。だが国民は、そこに岸田氏の指導力や責任性を見いだしてはいない。自派閥の刑法犯、党全体のガバナンス問題に対しても、自身の処分を棚上げすることと併せて、むしろ短絡的な保身と無責任性が見抜かれている。
外国人資金はチェックも曖昧に岸田氏周辺に大いに取り込まれ、潜在的に自身が外国から揺さぶられる種をまいたが、不問に付している。内政では円安と物価高、国民の間の格差拡大、税の負担感が固定化する一方で、外交での巨額のウクライナ支援が他国に比べても目立つ。今月、ゼレンスキー大統領との会談で、年内の7000億円と今後10年間の支援パッケージに、岸田氏はにこやかに合意したが、国民への説明は不十分だ。そうして国家の安全、国民生活の安定、バランスの取れた財政運営などの持続可能性に対する国民の不信感を募らせている。まさに大局観の欠如からくるものだ。
さてこの間、政治資金や派閥といった政局用語は毎日のように耳にするが、残念なことに、政治資金の本来の正当かつ有効な利用、また政権党である自民党の派閥の機能、これに代わる新しい政策集団について、国民は必ずしも理解を深めていない。
日本国民には平均的に見て高い民度がある。望めば誰でも多くの情報を入手できる今日、政治的に適当な環境さえ与えられれば、一人一人はもっと政治意識を高め、積極的に政治参加する潜在力を秘めているはずだ。そうした日本国民のポテンシャルについて洞察があり、これを総合した日本の国力を、経済のみならず、政治文化においても高めて、切り開く能力。こうした日本国民の潜在力を大いに生かす力についても、大局観の資質として次期首相には求めていきたい。(駿馬)