太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本陸軍第32軍司令官、牛島満中将の辞世の句を、陸上自衛隊第15旅団(那覇市)が公式ホームページに掲載していた件について、地元紙や一部の市民らが「日本軍と自衛隊とのつながりを示し、美化している」などと猛反発している。
牛島中将は南西諸島防衛の任に就き、沖縄戦を指揮したが、司令部のいわゆる「南部撤退」などで多くの民間人も犠牲になったことから、評価が大きく分かれている人物だ。
米軍に追い込まれ、自決を決意した牛島中将が残した辞世の句が「秋待たで枯れ行く島の青草は皇国の春に甦らなむ」だ。15旅団のホームページには、1972年当時の臨時第1混成群長、故桑江良逢氏の訓示内容と共に同句が掲載されている。
これについて、県内市民団体らは7日、県庁で記者会見を開き、「旧日本軍と自衛隊が連続する一体的な組織と認識できる」などと批判し、削除を求めている。また玉城デニー知事も6日の定例会見で「防衛省、自衛隊には説明責任を果たし、複雑な県民感情に配慮してもらいたい」と注文を付けた。
これに対して森下泰臣陸上幕僚長は6日の記者会見で「(第32軍と15旅団との)連続性があるという認識でそれ(辞世の句)を載せているわけではない」と説明し、内容の精査を指示していると語った。一方、木原稔防衛相は「地元の理解は必要不可欠だ」としながら削除するかどうかは部隊の判断だとするにとどめた。
沖縄戦を巡る議論の中で「牛島中将は沖縄を捨て石にした」との表現を見聞きするたびに、違和感を覚える。地政学的要因から、沖縄が本土防衛の要となったことは事実だが、その中でも最期まで沖縄に残り戦い抜いた牛島中将が後世にわたり非難され続けるのは何とも不憫(ふびん)でならない。
(K)