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「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」――。上川陽子外相が静岡県知事選の応援演説で語った言葉が、野党からの「不適切」との批判を受け撤回された。発言の真意は明白で、撤回する必要はないだろう。
「いま一度、女性パワーを発揮していただき、知事を誕生させようとの意味で申し上げた」という上川外相の説明を持ち出すまでもない。候補者を当選させることを比喩的に言ったまでのことである。
それを野党は「子供を産まない女性は女性ではないと受け取られかねない」と批判する。国語の問題であれば、まず不正解とされる類いの解釈である。
上川外相は「私の真意と違う形で受け止められる可能性がある」と言うが、揚げ足取りを専らとする人々の攻撃が誤った風潮を招いている。女性が子供を産むことへの称賛自体、間違いであるかのような空気が生まれつつあることこそ問題である。
あまりに当たり前だが、子供を産むことは男性にはできない。女性が出産しなければ、われわれ自身、この世に存在していない。生命を授けてくれた母性には感謝しても感謝しきれない。
女性の偉大さの一つが子供を産むことである。それを否定することは、人間の生命、自分自身を無価値なものと言っているに等しい。そんな当たり前のことが、いわゆるポリティカル・コレクトネスの風潮の中で言えなくなりつつある。そして生まれるのが、寛容さを装う偽善者の群れである。