」。右上は写本=4月16日、京都市上京区.jpg)
平安時代から鎌倉時代の歌人、藤原俊成、定家、為家は3代にわたって続いた勅撰和歌集の選者たちだ。冷泉家は、その為家の子息為相(ためすけ)を初代として始まり、明治維新にも京都を離れず、貴重な典籍類を守り続けた。
冷泉家の屋敷は京都御苑の北側にあり、平成12年に解体修理を完了して、創建時に近い姿に復元。受け継いできた典籍類は、昭和55年から目録作成が始まり、翌年には財団法人冷泉家時雨亭文庫が設立された。
蔵書群は写真版で刊行されるようになり、平成21年までに84冊が出された。ここで、新たに定家自筆の『古今和歌集』の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」が見つかった(小紙4月19日付)。
これは僧、顕昭による古今和歌集の注釈に、定家が自説の注釈を加えた書物だという。東大名誉教授の久保田淳さんによると「写本では分からない定家の思考を知ることができる貴重な史料」。
この自筆本は冷泉家が使う文書を入れた木箱の中にあり、令和4年10月から調査が始まっていた。写本群の研究者、藤本孝一氏の著書『本を千年つたえる』によると、冷泉家が典籍を守り続けた出発点には定家がいた。
若い時から火災で焼失するのを何度も見てきて、災厄への備えに力を注いだ。もう一つ、冷泉家で興味をそそるのは、今も陰暦で年中行事が行われていること。そして歌会が継続されていることだ。その歌会が「玉緒会」で、定家の時代の古い作法や規則がそのまま守られている。