【東風西風】鹿島の秘太刀

日本刀

「切るるとて新身の太刀を帯ぶ人はかならず不覚あると知るべし」。剣聖といわれた塚原卜(ぼく)伝は97首の武道歌を残した。その一首。

卜伝は戦国時代に80余年を生き、生涯に真剣勝負19度、戦場での戦い37度、打ち取った敵の首228人と伝えられている。無敗だった。

日本刀には古刀と新刀があり、新刀とは豊臣秀吉が慶長期に鍛えさせた以後のもの。

それ以前に作られた古刀は時期的に上中末と三区分され、切断してみると10にも20にも重ね合わせた薄い鉄板の層からなるという。

作家中山義秀が随筆「刀の花実」で書いている。新刀が、製鉄された鋳物(いもの)を中にしてそれを表金で包んでいるのとは鍛え方が違う。それゆえ古刀は折れず、曲がらず、軽いというのだ。

茨城県の鹿嶋市は塚原卜伝の故郷で、父親は鹿島神宮の神官吉川左京覚賢(あきかた)。卜部氏で、「鹿島の太刀」という古くからの剣法の継承者だった。

鹿島神宮の祭神は武神の武甕槌神(たけみかずちのかみ)で、宝剣「ふつのみたまの劔(つるぎ)」が伝えられている。行ってみると宝物館は存在せず、水戸市の県立博物館に移されたという。

中山義秀の「鹿島の秘太刀」にはその記述がある。全長8尺4寸8分、身幅2寸1分ある直刀。高麗直刀というもので、4世紀に、「鹿島の太刀」の元祖國摩眞人(くになづのまひと)が奉納したという。

義秀が取材したころ、この宝剣が研がれた。上古刀で、鉄の質が良く、奈良朝以後を下らないと鑑定された。

(岳)

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