「うるわしい」という単語がある。漢字では「麗しい」と表記する。21世紀の現在、うるわしいはほぼ死語になった。岩波文庫の末尾に「読書子に寄す」という文章が載っている。当時の社長の名前で書かれている。日付は昭和2(1927)年7月。芥川龍之介が自殺したのは、同じ年の7月24日のことだ。
この文章の真の書き手は哲学者の三木清(1945年没)と言われる。昭和2年はおおよそ100年前だが、このころは、うるわしいは普通に使われていたのだろう。
ところが、今から半世紀以上も前の段階では、早くもうるわしいという単語は古めかしく、なじみもない薄気味悪い言葉にしか思えなくなっていた。
もともと、うるわしいの意味の幅は意外に広かった。美しい、キチンとしている、望ましい、仲が良い、気分が良いといった好ましい感情を示す言葉だったのだが、21世紀にははっきりと死語になってしまった。
「読書子に寄す」の末尾は「世の読書子とのうるわしき共同を期待する」となっている。今のわれわれは「うるわしき共同」って何だろう? と受け止めるのが普通だ。
だがまた、うるわしいは古くから使われた言葉だ。『古事記』(712年成立)にも記述がある。日本各地を平定したヤマトタケルは「大和は国のまほろば/たたなづく青垣/山こもれる/大和し麗し」と歌って、間もなく亡くなった。「まほろば」は「優れた場所」のこと。うるわしいのは当然だ。