「こどもまんなか」への懸念

室内遊具で遊ぶこども

NHK朝ドラ「ブギウギ」で先週、主人公が娘の愛子を日本に残し4カ月のアメリカ公演を決意する場面があった。母親が子供を預けて長く家を空けるなど、当時は社会が許さなかった。母子は一体だった。

30年ほど前、実家近くの保育園に6カ月の息子を3週間預けたことがある。母から「もしものことがあったら、責任を取れるのか」と、いたく心配された。幸い、人見知りが始まる前だったこともあり、「元気に楽しく過ごせてますよ」と園長先生から聞いて安堵(あんど)した覚えがある。

その後、乳幼児の発達研究が進み、子供と一人の保育者とのアタッチメント(愛着)形成が重要であり、祖父母やその他たくさんの保育者が関与するのが子供の発達に良い、となった。

子育ては母親一人が担うのではなく、社会全体で担う。共同養育の考え方が広がり、母親も世間の目を気にせず乳幼児を預けるようになった。行政も共同養育の観点から核家族の育児困難を解消しようと、さまざまな子育て支援を進めている。

ただ、「子供は社会全体で育てる」というのも、行き過ぎると親の子育て責任、教育権の軽視につながりかねない。この頃は「親」「父母」に代わって、「子育て当事者」「養育者」という言葉が報道や公的文書で使われるようになった。子育てに関わる人をひとくくりに「子育て当事者」「養育者」と呼び、親とその他を同列に扱っていいものか。

昨年12月22日、「こども大綱」と「幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン」が閣議決定された。そこで最初に謳(うた)われているのは児童の権利条約の「児童は権利の主体」という一文。しかし、同条約がまず強調し謳っているのは、父母の下の家庭養育の重要性であり、そこにおける父母等の責任、権利および義務なのである。

「こどもまんなか」を掲げるこども家庭庁の子供政策が同条約の趣旨を歪(ゆが)めることなく、なされることを願いたい。

(光)

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