受験シーズン真っ只中(ただなか)。すでに高校・大学の合格発表が始まり、X(旧ツイッター)では合格を知らせる「桜咲く」が飛び交い始めている。そこで思うのは、筆者が経験した昭和の合格発表風景との様変わりだ。
筆者が受験した高校では、校舎前に合格者の名前を張り出していた。友人と誘い合わせてバスを乗り継ぎ1時間半かけて受験校に向かいその時を待った。受験生やその保護者が大勢集まる中、学校関係者が昼すぎ、張り出す紙を抱えて出てくると、掲示場所にどっと人が集まった。
「あった!」「おめでとう!」の歓声があちこちから聞こえる。中には、うなだれて、その場を去る受験生もいた。筆者と友人は合格。さっそく家族に知らせるため、近くの公衆電話に走るが、そこには長い列。少し待ち「桜咲く」と伝えると、電話越しに「やった!」と、家族の声が聞こえてきた。翌日には、高校から「合格」を知らせるはがきが届き、顔見知りの郵便屋さんからも「おめでとう」と声を掛けられた。
さすがに大学となると、受験番号のみの掲示だったと記憶する。それでも翌日には、新聞の地方版に、主立った大学の合格者名(高校別)が掲載された。そのためか、知らない女子生徒から「おめでとうございます」と電話が入る。どこで電話番号を知ったのか。個人情報にうるさい今とは大違い。
今はウェブサイトで合否照会する学校がほとんど。コロナ前だった次女の第1志望大学の合格発表日、自宅にいたのは筆者と次女だけ。居間で本を読んでいると、突然、入ってきた次女が「受かった!」と、“運命の時”を知らなかった筆者にしがみつき泣き崩れた。「お母さんや学校に知らせなさい」と伝えると、次女はスマホで次々と電話をかけ始めた。電報から電話、そしてXでポストする時代に変わっても、「桜咲く」を待つ受験生と家族の思いは変わらない。
(森)