【上昇気流】(2024年2月13日)

喜歌劇「こうもり」を指揮した後、観客に笑顔を見せる小澤征爾さん=2016年2月18日、京都市左京区

日本が誇る世界的指揮者で6日に亡くなった小澤征爾さんは昭和10年、旧満州国奉天(現・中国瀋陽)に生まれた。その名前は、関東軍参謀の板垣征四郎の「征」、石原莞爾の「爾」をもらい、父親の小澤開作が命名した。昭和史に関心のある人は別として案外知られていない。

歯科医の開作は「五族協和の王道楽土」の理想に燃える熱血漢で、満州で満州青年連盟、満州国協和会を結成し、宣撫(せんぶ)工作に従事した。満州事変の立役者、板垣と石原とは同志であった。

しかし、満州国建設後の現実が「王道楽土」の理想と違うことから北京に移住。中華民国臨時政府の下、中華民国新民会を結成して活動した。

開作は文芸評論家の小林秀雄とも交流があった。ある時、小澤邸を訪れた小林が客間に飾ってある壺(つぼ)をたたき割り、開作と大喧嘩(おおげんか)したことがあった。小林はその壺を贋物(がんぶつ)と見抜いて傍若無人の行動に出たのだが、開作は「贋物と知っておいているのだ!」と激怒。それは親しい中国人からの大切な贈り物だった。田中秀雄著『石原莞爾と小澤開作』に紹介された開作の懐の深さを物語るエピソードだ。

小澤さんは昭和34年、23歳で単身渡欧、指揮者としての武者修行を始めた。世界を舞台にその道を究めようというスケールの大きさと志の高さが「世界のオザワ」を生んだ。

それはやはり父親の開作譲りだったと思われる。「王道楽土」の夢は破れたが、国境のない音楽の世界で花開いたとも言える。

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