
手元に1960年代初めの古びたモノクロ写真がある。それは360ccの三輪トラック。運転席に女性、助手席に少年が写っている。幼い頃の気流子と母である。紳士服の仕立屋を営んでいた母の仕事車だった。
零細企業や商店主に愛用されたダイハツの「ミゼット」である。成人してからはダイハツ車と縁がなかったが、同社の軽自動車を見ると、ついミゼットを思い出し“先輩気分”で誇らしくなる。
会社の起源は明治に遡(さかのぼ)る。当時の大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)の学者や技術者が中心となり、大阪で「発動機製造株式会社」として始まった。大阪のダイ、発動機のハツをもってダイハツ。それが不祥事とは――。大阪人の誇りも傷つけられた。
親会社のトヨタ自動車にはかつて「落日のシナリオ」があった。「二〇三七年十一月三日。ちょうど創業百周年に当たるきょう、会社は社員を捨て、会社は社会から見捨てられることになろうとは。『ぬけがら!』。まさに今のこの会社にぴったりの言葉だ」。
1980年代に管理者向けに発行されていた社内マネジメント誌に載った試論だ。ガリバーに成長したトヨタが「老舗のおごり」から落ちぶれていくさまがリアルに描かれていた(日本経済新聞91年6月8日付)。これを反面教師にしたはずだが、いま不正で揺れている。
ガリバーよりも「匠(たくみ)の技の結晶」と称(たた)えられたミゼット(超小型のもの)の精神で誇りを取り戻してもらいたい。