「出る喜び」の思い出

最近、息子や娘が住むアパートを訪ねると、必ず聞くのが「トイレは座って使うように」という注意だ。最初の頃は聞き流していたが、いったん清潔に使うことへの関心を持ち始めると、自宅でも意外と床を拭き取ることが多くなって、息子や娘のアパートでは座って小用をするようになった。

幼い頃、自宅のトイレがきれいになったのは、水洗式になってからだ。田舎育ちで、小学校低学年の頃までは、汲(く)み取り式の屋外便所だった。大きな甕(かめ)が3分の2ほど埋め込まれ、三方と屋根が板で覆われた小便器と、その隣に建てられた四方板張り(もちろん屋根とドアがある)で床板に大便用の穴が開いただけの便所だった。臭いがきついのはもちろんだが、電球も付いていないので、夜にトイレに行くのは本当に怖かった。

小学校も汲み取り式の便所で、クラスで2人ずつ順番に掃除当番になっていた。ゴム手袋もなく、素手で雑巾を絞って床にこぼれた尿を拭き取っていた。今の基準では考えられないが、当時は当然のことと受け止められていた。そんな具合だから、小便用のコンクリート壁(後には小便器の列)の上には「一歩前へ」の紙が貼られていた。その他の文句の記憶がないので、当時の公衆便所の常套(じょうとう)句だったのだろう。

この常識が崩れたのは、大阪万博が見学できるというので、中1の夏に奈良県天理市を団体参拝で訪れた時だ。宿所の便所に「出る喜び」の紙が貼ってあった。衝撃的な言葉だったが、尿が“普通”に出るのは健康な証しだし、手術後にはオナラが出ることが回復の指標になっているという。文字通り、出る喜びではないかと、妙に納得した。今も公衆トイレには「トイレはきれいに使いましょう」などと、清潔な使い方を呼び掛ける文句が多いが、それを見るたびに、「出る喜び」の張り紙を思い出す。

(武)

spot_img