尚樹氏(Wikipediaより).jpg)
作家で日本保守党代表の百田(ひゃくた)尚樹氏が腎臓がんの手術を無事終えたと自身のX(旧ツイッター)で報告している(12日)。氏の“毒舌”を待っていた人には朗報だろう。と言っても、病床から躊躇(ちゅうちょ)なく吠(ほ)えておられたが。
百田氏といえば、デビュー作『永遠の0』(講談社文庫)が思い浮かぶ。死に逝く一兵士への「鎮魂」と「哀悼」に溢(あふ)れる物語だった。
安倍晋三元首相は「特に印象深かったのが、前線の兵士たちは極めて勇敢に戦っているにも関わらず、判断を下す司令官に決断力と勇気のない者が多いという描写です」と語っている(安倍晋三・百田尚樹共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』WAC)。
同様の印象を抱くのは能登半島地震の救援活動だ。現場の奮闘ぶりとは対照的な「司令官」とりわけ政治家の言動である。被災地で救援物資のカレーを食って悦に入ったり、街頭で救援カンパ活動をひけらかしたり。いずれも大局観が欠落している。
29年前の1月17日未明、「司令官」は寝ていた。時の総理が阪神・淡路大震災を知ったのはテレビ画面からで、事の重大性を理解したのは数時間後だったという。これを教訓に小出しに震災対策が積み上げられてきたが、大穴が開いたままだ。
法の「司令官」と言うべき憲法に緊急事態条項が存在しないのである。平和憲法とはよくぞ言ったものだ。だから一朝有事に右往左往する。国造りを根本からやり直す時ではなかろうか。