元日に震度6強を観測した石川県七尾市に来ている。震災での死者は5人と、奥能登の輪島市や珠洲市などと比べると遥(はる)かに少ない。しかし市内を巡ると、倒壊した家屋や傾いたり半壊したりした建物に多数出会う。あちこちで道路に亀裂が走り、電信柱が傾いている。市内ほとんどの地域で断水が続いている。
そんな街中を歩いて浄土宗西光寺へ向かった。ここには、「苦役列車」で芥川賞を受賞し、2022年に急逝した作家、西村賢太の墓がある。西村は大正時代に活躍した七尾出身の作家、藤澤清造に私淑。「没後弟子」を名乗って、清造の墓の隣に生前墓を建てた。
西光寺の近くまで行くと、手前にある真宗寺院の改観寺の建物が崩落して道をふさいでいた。仕方なく遠回りをして西光寺の前に来ると、黒瓦の山門が崩れ落ちていた。隣接する墓地も、半分以上の墓石が倒れている。
西村の墓は石柱が倒れ、清造の墓も被害を受けていた。ただ二つ並んだ墓には、花が供えられていた。震災後に供えられたのかどうかは分からないが、それほど日にちも経(た)っていないように見える。没後も西村の人気は根強く、年間300人近くが訪れるという。
生前は波乱多い人生を送った無頼派の2人だが、没後も師弟として運命を共にしているように見える▼地元紙の北國新聞によると、西光寺の高僧英淳住職は、清造と西村の墓について「ファンの方のためにも、早く直したい」と話している。