フランス人医師、アラン・ボンバールは1951年の春、ドーバー海峡近くにある勤務先の病院で、遭難したトロール漁船の救助に当たった。乗組員43人は救命浮帯を着けていたのに一人も蘇生しなかったことにショックを受けた。
当時、世界では毎年20万人が海難で死亡していた。それも90%が難船後3日以内だった。外傷や窒息による死ではない。飢えや渇きであればもっと多くの日数が必要だ。それなのになぜ、こんなに早く亡くなるのか。
12年のタイタニック号沈没では3時間後に救助船が現場に到着したが、救命ボートにはすでに死人と狂人がいた。絶望と恐怖感から勇気と理性が失われ、気が狂い死に至った。その中には10歳以下の子供は一人もいなかった。彼らは絶望することを知らなかったからである。
52年、ボンバールは食料や飲料水を一切持たず、ゴムボートで単身、大西洋横断を試み、海で遭難した際の生き残る術(すべ)を後世に残した。最も必要なのは希望、最大の敵は孤独だったという(ノンフィクション全集2『実験漂流記』筑摩書房)。
海難とは全く条件が異なるが、最大震度7の地震が起きた能登半島には、未(いま)だ多数の行方不明者がおられる。生存率が低下する「72時間の壁」は過ぎたが、90歳代の女性は124時間後に救出された。まだ救える命があると信じたい。
総力を尽くして救助に当たってほしい。被災者を絶望や孤独に陥れることなく、希望が抱ける支援を心掛けたい。