
「正月や/冥途の旅の一里塚/めでたくもあり/めでたくもなし」――。一休宗純の狂歌だ。一休は「とんちの一休さん」で知られたが、最近では話題になることは少ない。
「正月といっても、年を取って死者の国へと一歩近づくだけのことなのだから、めでたいとばかりも言えない」。そんなひねくれた気持ちが伝わってくる。
清貧、孤高、天衣無縫、反骨、洒脱(しゃだつ)、風狂といった言葉が、この放浪の禅僧にはふさわしい。悪い印象が見当たらないのは人徳のためだろう。父は第100代後小松天皇。一休の弟(第一皇子)が皇位を継いだ。一休とは「一休み」の意味。「休む」というのが忙しい人々から見ればうらやましい。
「めでたくもあり/めでたくもなし」というと「めでたさ50%、めでたくなし50%」のようにも思えるが、歌を素直に読めば、めでたさは40%程度の印象だ。
「正月なんて人が言うほどめでたいものでもないよ」という気持ちはしっかり伝わってくる。何歳ごろの歌かは分からないが、世間一般に対する姿勢は反骨そのものだ。兄だったのに天皇になれなかったのは母親の出自の問題だったのか、そこのところは不明だ。
都とその周辺を放浪していたのだろうが、単なる乞食坊主ではなかった。各地の寺で続いた禅の修行は本物だった。その上で1474年、80歳になって京都の名刹(めいさつ)大徳寺の住職となった。室町幕府8代将軍の足利義政と時代が重なる。87歳で亡くなった。