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令和も来年で6年目。日本財団の笹川陽平会長が産経新聞「正論」欄で、この元号が国書から採られた背景に、笹川氏がかつて同欄に寄稿した一文があることが、関係者の証言で明らかになったことを記している。
笹川氏は平成31年1月3日付で「中国古典にとらわれず新元号を」と提唱。その翌日、伊勢神宮参拝で新幹線の車中にあった安倍晋三首相(当時)に今井尚哉政務秘書官が新聞各紙の正月紙面のコピーを見せると、安倍氏は正論のコピーを手に「やっぱり国書でなきゃだめだよな」と語ったという。
新元号の発表まで3カ月を切った段階で、なお安倍氏の心は揺れていた。今井氏によれば、笹川氏の一文が「総理があらためてマインドセットする決定打になった」。
さらに令和に決まる過程については、歴史家の磯田道史氏と作家の安部龍太郎氏との北國新聞での対談が興味深い。磯田氏は、令和の発案者とされる中西進国際日本文化研究センター名誉教授と京都の料亭で懇談した時のことを披露。
幕末に出た元号案の中に、徳川に命令するという意味合いの「令徳」があったと話すと「中西さんは真顔で目が妙にギラギラしたんです(笑)」と述べている。その後、『万葉集』の大伴旅人の話で盛り上がったという。
元号制定の過程は今後少しずつ明かされていくのだろうが、安倍氏の国書典拠への強い思いがあったことは疑いない。改めて、そのレガシー(遺産)の大きさを思わざるを得ない。