【上昇気流】(2023年12月16日)

監督(映画)や演出家(テレビドラマ・演劇)と脚本家との関係は表裏一体だと言える。もっとも、脚本家の仕事は「脚本を書けばそれで終わり」というものでもないらしい。

先月刊行された春日太一著『鬼の筆』(文芸春秋)は、脚本家、橋本忍の評伝だ。「戦後最大の脚本家」という副題が付いているが、芸能界に疎い当方も「戦後最大」には納得だ。

橋本(2018年没)は黒澤明監督の代表作の多くに関わった。一般に映画は「監督のもの」として記憶される。しかし、この本の著者である春日氏のインタビューに答えて橋本は、黒澤の成功作に対しても「僕の作品」と明確に主張する。「黒澤対橋本」という文脈で考えると「自分は過少にしか評価されなかった」という思いがあったのだろう。

それでも、黒澤とは関わりのない「砂の器」(1974年)や「八甲田山」(77年)といった橋本の成功作を見れば、脚本の見事さに圧倒されるばかりだ。「腕力の脚本家」と評されるゆえんだ。

そんな橋本も、80年代に入ると衰えが目立つようになった。年齢のためか、腕力を発揮できなくなったようなのだ。春日氏は、彼の失敗作についても遠慮なく描き出している。

「余裕のある仕事からはなにも生まれない。精も根も尽き果て、血ヘドを吐くような中で仕事を成し遂げた場合にのみ体得するものがある」と橋本は晩年に行われたインタビューに答えている。この脚本家の生きざまを示した言葉だ。

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