
最近、小さな美容院に行ったら、紙の雑誌が消え、タブレット端末で雑誌が読めるようになっていたので驚いた。ただ、70歳を過ぎた人がタブレット端末を使いこなせるかというと微妙だ。スーパーのセルフレジやレストランのタッチパネル式のセルフ注文など、デジタル化に戸惑いを覚える高齢者は多い。
先日、知人の80歳女性から「海外に小荷物を送ろうとしたら、手書きでは受け付けてもらえない」と、ヘルプコールが入った。海外のデジタル化に対応し、海外小荷物便は自分で住所をネット入力し、送信するシステムに変わったらしい。送り状をスマートフォンでダウンロードし、住所入力するだけだが、相手は大変な喜びようだった。
「ラインの友達登録」「キーボードの変換」「写真の送信、保存」など、基本的なことすら使いこなせないまま、スマホを持っているだけの人も多い。そうかと思えば、89歳でスマホデビューした92歳の知人は、あいさつはがきをラインで送ったり、将棋や脳トレアプリ、動画などを楽しんでいる。その方は、定期的に訪ねてくる孫からサポートがあり、家族関係も極めて良好だ。
やはり、産まれた時からインターネット環境が整っていた子や孫がいると助かることが多い。ただし、物理的距離が遠かったり、心の距離も遠かったりするとなかなか難しい。
高齢者のスマホのお悩み事はスマホを使えている人なら誰でも分かることだが、そんな些細(ささい)なことを相談できる人が身近にいない。それだけ、つながりが希薄で脆弱(ぜいじゃく)な社会で生きているということでもある。
デジタル難民に象徴される、社会の変化に伴う些細な困り事は、昔から人とのつながりの中で解決してきた。地域や世代間のつながりの中で、防犯・防災・環境保全など、地域課題をうまく処理してきたわけである。関係性をつくる自助努力と共に、行政の側には世代がつながる仕組みづくりが求められている。
(光)