師走となり年末に向かって時間がカウントダウンされていく。といっても、年の瀬の感は今のところ薄い。冬の空が広がり、朝夕の空気も冷たいので、今年の終わりを少し感じている。
スーパーなどでいち早く正月飾りの販売が始まったこともある。一方、まだクリスマスの商戦はケーキ販売予約ぐらいなので、気が早いといえば早い。師走は教師や僧侶も走りだすほど忙しいことからきたが、今は実感と合っているのかどうか。
時間というのは不思議なもので、時計で確認して時刻を意識するが、ひと月の区切りを気に掛けるのはカレンダーを見るときぐらいだ。それに対して、四季の移り変わりは花や紅葉など植物によって知ることができる。
高浜虚子の有名な句に、年を越えた時間感覚を詠んだ「去年今年貫く棒の如きもの」がある。一夜明けるともう昨日は去年で、きょうからは新年であるという不思議な感慨。これはちょうど、汽車に乗ってトンネルを抜けるとそこは雪国だったという川端康成の『雪国』に通じるものがある。
2023年という汽車も終着駅に近づき、それがまた24年の始発駅となる。汽車といえば、夏目漱石の『三四郎』の冒頭は、九州から汽車で上京する三四郎の目覚めから始まる。汽車という乗り物が幕末から明治という激動の時代を象徴しているように漱石自身感じていたのかもしれない。
漱石は1916年のきょう亡くなった。今ならば若死にというしかない49歳だった。