先週は寒くなったので鍋料理が恋しくなったが、それもつかの間、今週また暖かくなった。今年の季節は気まぐれである。が、恋しさはそうそう消せない。すき焼き、おでん、キムチ鍋、石狩鍋……。鍋料理の季節が到来だ。
「孤独のグルメ」も悪くはないが、鍋料理は食卓を囲んで家族や友人、職場の仲間との弾む会話が似つかわしい。その距離感が何とも心地よい。
米国の文化人類学者エドワード・T・ホールによれば、人が自分の身体を使って行うコミュニケーションを、何らかの形で意味付けている距離帯がある(日高敏隆、佐藤信行訳『かくれた次元』みすず書房)。
手で相手に触れる「密接距離帯」、腕を伸ばせば触れる「個体距離帯」、普通の音声で会話ができる「社会距離帯」、大声で通じる「公衆距離帯」の四つである。とすれば、鍋料理はさしずめ個体距離帯ということになる。ここでのコミュニケーションは親しみを込めた言葉の会話で、人はこの距離帯内には近しい人しか入れたがらない。
1930年代にフランクリン・ルーズベルト米大統領はホワイトハウスから語り掛ける「炉辺談話」をラジオで流し高支持率を得た。これは個体距離帯での話し方で、大衆は大統領に親しみを抱いた。
わが岸田文雄首相はどうだろう。その話しぶりはいささか距離感がある。普通の音声でも大声でも通じにくいのは心がこもっていないからか。僭越(せんえつ)ながら、鍋料理をつつく感覚での話し方をお勧めしたい。