
今や世界的な有名ブランド食材となった和牛。台湾でも故李登輝元総統が基金を創設し、日本統治時代に持ち込まれた和牛の品種改良と繁殖に取り組んできた。その成果が台湾のブランド和牛「源興牛」だ。
この源興牛そして松坂牛や近江牛など黒毛和牛が、実は「田尻号」という一頭の但馬牛から始まったことはあまり知られていない。平成24年、「全国和牛登録協会」の調査で明らかになった。インタビューした時、元総統から教えられた。
『続日本紀』には「但馬は古来牛を愛育し、良畜を産す」との記述がある。そのルーツをさらに探ると、新羅から渡来したアメノヒボコ(天之日矛)に遡る。
『古事記』や『日本書紀』には、垂仁天皇の時、刀、矛、鏡など七つの神宝を携えて渡来したと記されている。兵庫県豊岡市には、アメノヒボコを祀(まつ)る延喜式内社、但馬国一宮の出石神社がある。新羅の王子とされているが、それよりは渡来人集団を人格化したものとみられる。
『古事記』には、アメノヒボコが山中で牛を連れた男と出会い、男が牛を食べようとしていると考え牢獄(ろうごく)に入れたという話が載っている。但馬における牛の愛育の起源譚のようにも思えるし、但馬牛の先祖は彼らが朝鮮半島から連れて来た牛だったとの想像も可能だろう。
しかし現在、韓国で見る牛は圧倒的に赤牛が多い。それでも但馬における育牛の伝統は、アメノヒボコまで遡ることは間違いないように思われる。