能登半島の尾根筋を南北に縦走する「峨山道巡行」が、先ごろ行われた。輪島市門前町の曹洞宗・總持寺祖院と羽咋市酒井の永光寺(ようこうじ)を結ぶ13里(約52㌔)の山道で暦応3(1340)年から両寺の住職を兼ねていた峨山韶碩(がざんじょうせき)禅師(1275~1366年)が20年以上にわたって往来したといわれている。その遺徳をしのび、春と秋に巡行が続いている。今年は10月14、15日に行われた。
14日は県内外から37人が参加した。出発地の永光寺裏手をスタート。いきなり険しい石段が続き、その先には半島を横断する眉丈山系(びじょうざんけい)が立ちはだかる。能登の山々はなだらかと言っても山道はきつい。しばらく登ると、視界が一気に開け、眼下に邑知(おうち)平野を見渡す。能登地方最大の穀倉地帯で、収獲の終わった水田が広がっている。
平野をつっ切り、JR七尾線を越えると、いよいよ道が険しくなる。参加者は熟年者や高齢者がほとんどとあって、禅師のように全行程を踏破するのではなく、途中、バス移動する箇所もある。参加者の中には、今回で43回を数える80代の女性もいて、2日間の行程を楽しんでいた。
峨山禅師は毎朝未明に永光寺の朝課を勤めた後、険峻(けんしゅん)な山道を越えて總持寺の朝の読経に間に合わせたと伝わる。早足で歩く様は、胸の前のすげ笠が風圧で落ちなかったほどだ。永光寺の伝燈院に安置されている同禅師の木造坐像は、顎(あご)の張った頑健な顔つきで身長は190㌢あったといわれている。
(仁)